今川館

今川氏の駿府入り 1411年

城名今川館(今川氏館)
所在地駿河国安倍郡駿府(現・静岡県静岡市葵区)
築造1411年(応永18年)、今川範政による
主な城主今川義元ほか今川氏歴代当主
現状消滅。跡地一帯に駿府城が築かれ、現在は駿府城公園として整備

今川館とは

今川館は、駿河国安倍郡駿府(現在の静岡県静岡市葵区)に置かれた今川氏歴代当主の居館兼政庁である。応永18年(1411年)、今川範政が駿府に館を構えたのが始まりとされ、以後、今川氏親・今川氏輝を経て今川義元に至るまで、およそ150年にわたり駿河・遠江支配の中心であり続けた。

今川義元の時代には駿府の町は「東国の京」と称されるほど繁栄し、今川館はその政治・文化の中心であった。また天文18年(1549年)から永禄3年(1560年)にかけて、人質として送られた幼少期の徳川家康(竹千代)が12年間を過ごした場所としても知られる。なお現在の駿府城は、今川館焼失後の跡地に家康自身が新たに築いたもので、今川館とは別の城である点に注意したい。

1411年 今川範政が駿府に居館を構え、以後今川氏歴代の政庁となる
1536年 花倉の乱を経て今川義元が家督を継ぎ、今川館を拠点に駿河・遠江の統治を本格化させる
1549年 人質交換により幼少の徳川家康(竹千代)が駿府に送られ、以後12年間を今川館下で過ごす
1560年 桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれ、家康は人質生活を終えて岡崎へ帰還する
1568年 武田信玄の駿河侵攻により今川館一帯が焼失し、今川氏は事実上滅亡する
1585年 家康により今川館跡地一帯に駿府城の築城が開始される(今川館とは別個の城郭)
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ゆかりの武将

今川館を政庁とした当主

人質として過ごした人物

今川館そのものの城主ではなく、駿府滞在時の人質としての関わりである

「尼御台」として今川家の政務を采配した居所

今川氏親の正室として嫁ぎ、氏親没後は氏輝・義元・氏真の代まで四代にわたり今川館で家中を支えたとされる。義元の桶狭間での死後も自ら花押を用いた文書を発給し、女戦国大名として領国運営にあたったと伝わる。

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よくある質問

Q. 今川館とは?

駿河国駿府(現・静岡県静岡市)にあった今川氏歴代当主の居館兼政庁で、今川義元の時代にはその全盛期を象徴する拠点であった。

Q. 今川館と駿府城は同じ城ですか?

別の城である。今川館は1568年の武田信玄の侵攻で焼失し、現在の駿府城はその跡地一帯に徳川家康が1585年以降に新たに築いたものである。

Q. 徳川家康と今川館の関係は?

家康は幼少期の1549年から1560年までの12年間、今川家の人質として駿府(今川館下の城下町)で過ごした。

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