深志城

信玄の入城 1550年(天文19年)

城名深志城(ふかしじょう)※松本城の前身
所在地長野県松本市(現・松本城の地)
築城/入城1504年(永正元年)頃、島立貞永が築城→1550年(天文19年)武田信玄が入城
主な城主武田信玄、小笠原貞慶(奪還後)
現状松本城として現存(国宝)

深志城とは

深志城は、信濃守護・小笠原氏の一族である島立貞永が1504年(永正元年)頃に平城として築いたのが始まりとされる、信濃府中(現在の松本市)の城である。1550年(天文19年)、武田信玄が林城を攻めて小笠原長時を追放すると、深志城を修築して信濃支配の本拠とし、以後1582年の武田氏滅亡まで武田領国経営の拠点として機能した。

武田氏滅亡後は天正壬午の乱の混乱の中で城の帰属が二転三転し、小笠原長時の子・貞慶が旧領を回復して城主に返り咲いた際、地名を「松本」と改めたと伝わる。これが現在の国宝・松本城の直接の前身にあたる城である。

1504年頃 小笠原氏一族の島立貞永が平城として深志城を築いたとされる。
1550年 武田信玄が林城を攻めて小笠原長時を追放し、深志城に本拠を置いて信濃支配の拠点とした。
1582年 武田氏滅亡後、天正壬午の乱の中で小笠原洞雪斎が上杉景勝の後ろ盾を得て深志城に入った。
1583年頃 小笠原長時の子・貞慶が深志城を奪還し、地名を「松本」と改めたとされる。
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よくある質問

Q. 深志城とは?

信濃府中にあった城で、1550年に武田信玄が小笠原長時を破って本拠とした。後に小笠原氏が奪還して地名を松本と改めたことから、現在の国宝松本城の前身にあたる城とされる。

Q. 深志城と松本城はどう違うのか?

同じ場所にある城で、武田氏支配下の呼称が「深志城」、小笠原貞慶が奪還して以降の呼称が「松本城」にあたる。城郭は江戸時代にかけて大きく改修され、現存天守を持つ国宝松本城へと発展した。

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