要害山城

築城 1520年(永正17年)

城名要害山城(ようがいさんじょう)
所在地山梨県甲府市上積翠寺町
築城1520年(永正17年)武田信虎
主な城主武田信玄ほか武田三代
現状国の史跡(要害山)

要害山城とは

要害山城は、躑躅ヶ崎館が完成した翌年の1520年(永正17年)に武田信虎が築いた山城である。標高約770mの要害山に木柵や土塁を巡らせ、山頂には狼煙台も設けられており、普段の居館である躑躅ヶ崎館に対し、有事の際に立てこもる「詰城」として整備された。

1521年(大永元年)に今川軍が甲斐へ侵攻した際、信虎の正室・大井夫人はこの城へ避難し、その最中に武田信玄を出産したと伝えられている。真偽については異説もあるが、要害山城は信玄誕生の地として広く語り継がれ、躑躅ヶ崎館とともに武田三代の本拠を支え続けた。

1520年 武田信虎が躑躅ヶ崎館の詰城として要害山城を築いた。
1521年 今川軍の甲斐侵攻に際し大井夫人が要害山城へ避難し、この地で武田信玄を出産したと伝わる。
1582年 武田氏の滅亡とともに、要害山城もその役割を終えたとされる。
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よくある質問

Q. 要害山城とは?

1520年に武田信虎が躑躅ヶ崎館の詰城として築いた山城で、武田信玄誕生の地と伝わる。有事の際に武田氏が立てこもる防衛拠点だった。

Q. 要害山城と躑躅ヶ崎館の関係は?

躑躅ヶ崎館が普段の居館・政庁であるのに対し、要害山城は北東2キロの山中に築かれた詰城で、両者は一体となって武田氏の本拠を成していた。

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