要害山城とは
要害山城は、躑躅ヶ崎館が完成した翌年の1520年(永正17年)に武田信虎が築いた山城である。標高約770mの要害山に木柵や土塁を巡らせ、山頂には狼煙台も設けられており、普段の居館である躑躅ヶ崎館に対し、有事の際に立てこもる「詰城」として整備された。
1521年(大永元年)に今川軍が甲斐へ侵攻した際、信虎の正室・大井夫人はこの城へ避難し、その最中に武田信玄を出産したと伝えられている。真偽については異説もあるが、要害山城は信玄誕生の地として広く語り継がれ、躑躅ヶ崎館とともに武田三代の本拠を支え続けた。



