躑躅ヶ崎館

築城 1519年(永正16年)

城名躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)
所在地山梨県甲府市古府中町
築城1519年(永正16年)武田信虎
主な城主武田信玄ほか武田三代(信虎・信玄・勝頼)
現状武田神社境内・国の史跡

躑躅ヶ崎館とは

躑躅ヶ崎館は、1519年(永正16年)に武田信虎が石和から本拠を移して築いた居館で、甲斐武田氏の政治・軍事の中心地となった場所である。三方を山に囲まれ甲府盆地を望む立地に築かれ、信虎・信玄・勝頼の三代にわたり武田領国支配の拠点として使われ続けた。

館そのものは防御施設を最小限にとどめた居館としての性格が強く、有事の際には北東に築かれた詰城・要害山城に立てこもる構えとなっていた。武田氏滅亡後の江戸時代以降、跡地には武田信玄を祭神とする武田神社が創建され、現在も多くの参拝客が訪れる。

1519年 武田信虎が石和から府中(現在の甲府)へ本拠を移し、躑躅ヶ崎館を築いた。
1541年 武田信玄が父・信虎を駿河へ追放し、躑躅ヶ崎館の主として武田家当主となった。
1582年 武田勝頼が新府城へ本拠を移したことで、躑躅ヶ崎館は約63年に及ぶ武田氏本拠としての役割を終えた。
江戸時代以降 館跡に武田信玄を祀る武田神社が創建された。
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よくある質問

Q. 躑躅ヶ崎館とは?

1519年に武田信虎が築いた甲斐武田氏の本拠となる居館で、信虎・信玄・勝頼の三代にわたり政治・軍事の中心地として機能した。現在は跡地に武田神社が鎮座している。

Q. 躑躅ヶ崎館はなぜ城ではなく館なのか?

普段の政務や生活の場である居館として築かれ、防御は最小限にとどめられたためである。有事の際には北東2キロほどにある詰城・要害山城に立てこもる構えになっていた。

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