どのように勢力を広げた?
道三の手法は、商人としての財力、婚姻、そして主家の内紛への介入でした。実力で国を取った典型例として語られます。
ただし在地の国人層の支持は薄く、それが長良川で兵が集まらなかった理由になります。
斎藤道三は美濃守護・土岐氏の家臣から実権を奪い、国主となりました。かつては道三一代の国盗りとされましたが、父子二代で行われたとする説が現在は有力です。
道三は娘(濃姫)を織田信長に嫁がせて同盟しますが、1556年の長良川の戦いで子の義龍に討たれます。
義龍の急死後、若い龍興の代に織田信長の侵攻を受け、1567年に稲葉山城が落ちて斎藤氏は滅びました。
美濃国(稲葉山城)
斎藤道三
〜1556年
土岐氏を追って美濃を掌握。長良川の戦いで子・義龍に討たれた。
道三の手法は、商人としての財力、婚姻、そして主家の内紛への介入でした。実力で国を取った典型例として語られます。
ただし在地の国人層の支持は薄く、それが長良川で兵が集まらなかった理由になります。
道三が美濃を掌握した1540年代が最盛期です。ただし国内の支持基盤は最後まで安定しませんでした。
長良川の戦いで道三が敗死した時点で、実力による支配の脆さが露呈しました。
義龍の急死後、家中は西美濃三人衆(稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就)の離反によって崩れ、1567年に稲葉山城が落ちます。
龍興はその後も各地で抵抗を続けましたが、1573年に刀根坂の戦いで討死しました。