斎藤氏とは?本拠・当主・勢力の広がり

斎藤氏を30秒で

斎藤道三は美濃守護・土岐氏の家臣から実権を奪い、国主となりました。かつては道三一代の国盗りとされましたが、父子二代で行われたとする説が現在は有力です。

道三は娘(濃姫)を織田信長に嫁がせて同盟しますが、1556年の長良川の戦いで子の義龍に討たれます。

義龍の急死後、若い龍興の代に織田信長の侵攻を受け、1567年に稲葉山城が落ちて斎藤氏は滅びました。

本拠と領域

美濃国(稲葉山城)

歴代当主

  1. 斎藤道三のAI生成イメージ 斎藤道三 〜1556年 土岐氏を追って美濃を掌握。長良川の戦いで子・義龍に討たれた。
  2. 斎藤義龍 1556年〜1561年 父を討って家督を継いだが、5年後に急死した。
  3. 斎藤龍興 1561年〜1567年 若年で家中をまとめられず、稲葉山城を織田信長に奪われた。

どのように勢力を広げた?

道三の手法は、商人としての財力、婚姻、そして主家の内紛への介入でした。実力で国を取った典型例として語られます。

ただし在地の国人層の支持は薄く、それが長良川で兵が集まらなかった理由になります。

最盛期

道三が美濃を掌握した1540年代が最盛期です。ただし国内の支持基盤は最後まで安定しませんでした。

主な合戦

他勢力との関係

織田氏
娘・濃姫を信長に嫁がせて同盟。道三の死後、信長が美濃を奪った。
土岐氏
美濃守護の旧主家。道三に追われた。
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衰退・その後

長良川の戦いで道三が敗死した時点で、実力による支配の脆さが露呈しました。

義龍の急死後、家中は西美濃三人衆(稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就)の離反によって崩れ、1567年に稲葉山城が落ちます。

龍興はその後も各地で抵抗を続けましたが、1573年に刀根坂の戦いで討死しました。

斎藤氏に属した武将(2人)

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