佐土原城とは
佐土原城は、宮崎市佐土原町に築かれた日向国の城である。14世紀半ばに伊東氏の一族・田島休助が田島城として築いたのが始まりと伝わり、1427年頃に伊東祐賀が入城して佐土原氏を名乗ったことから佐土原城と呼ばれるようになった。以後、伊東氏は日向国支配の拠点のひとつとしてこの城を用いた。
戦国時代末期、島津氏が日向へ勢力を伸ばすと佐土原城も島津氏の支配下に入り、島津家久(島津四兄弟の末弟)が城主となった。1587年、家久が急死すると、18歳の子・島津豊久が家督と城主の座を継いだ。豊久は伯父にあたる島津義弘に従って各地を転戦し、1600年の関ヶ原の戦いでは西軍として参陣、退却する義弘の身代わりとなって奮戦し討死したと伝わる(島津の退き口)。豊久に嗣子がなかったため、戦後は島津以久が佐土原に入り、佐土原藩初代藩主となった。
14世紀半ば
伊東氏の一族・田島休助が田島城を築いたと伝わる
1427年
伊東祐賀が入城し佐土原氏を称する。以後「佐土原城」と呼ばれるようになったとされる
1480年
伊東祐国が養子として入り、伊東氏が正式に城を支配下に置く
1580年代
島津氏が日向へ進出し伊東氏を圧倒、佐土原城は島津領となる
1587年
城主・島津家久が急死。18歳の島津豊久が家督と佐土原城主の座を継ぐ
1600年
島津豊久が関ヶ原の戦いに西軍として参陣。伯父・島津義弘の退却を守り討死したと伝わる(島津の退き口)
1600年以降
豊久に嗣子がなかったため島津以久が入城し、佐土原藩初代藩主となる
沖田畷の戦い(天正12年・1584年)や戸次川の戦い(天正14年・1586年)での勝利で武名を轟かせたが、佐土原城主となったのは豊臣秀長の九州征伐に際して和睦した天正15年(1587年)のことで、在城はごく短期間だった。同年6月、佐土原城内で41歳で急死し、跡は嫡男・島津豊久が継いだ。
よくある質問
Q. 佐土原城とは?
宮崎県宮崎市にあった日向国の城で、伊東氏の拠点を経て島津豊久の居城となった城です。関ヶ原の戦いで壮絶な最期を遂げた豊久ゆかりの地として知られます。
Q. 島津豊久はなぜ佐土原城主になったのですか?
1587年に父・島津家久が急死したため、18歳で家督と城主の座を継ぎました。豊久は島津義弘の甥にあたります。
Q. 島津豊久はどのように最期を迎えましたか?
関ヶ原の戦いで西軍として戦い、退却する伯父・島津義弘の身代わりとなって奮戦し討死したと伝わります(島津の退き口)。ただし最期の状況には諸説あります。
Q. 佐土原城の現状はどうなっていますか?
国指定史跡となっており、山頂部に建物は残りませんが土塁や石垣の痕跡が見られます。二の丸跡には発掘調査をもとに復元された「鶴松館」があります。