大坂城とは
大坂城は、1583年、豊臣秀吉が石山本願寺の跡地に築いた城です。当時最大級の規模と豪華さを誇り、豊臣家の権力の象徴とされました。秀吉没後は子の秀頼が城主となりましたが、1615年の大坂夏の陣で徳川方に攻め落とされ、豊臣家は滅亡しました。
築城 1583年 〜 落城 1615年(大坂夏の陣)
| 城名 | 大坂城(別名: 錦城、金城) |
|---|---|
| 所在地 | 摂津国・大坂(現・大阪府大阪市中央区) |
| 築城 | 1583年、豊臣秀吉が築城 |
| 主な城主 | 豊臣秀吉 → 豊臣秀頼 |
| 現状 | 再建天守が現存(大坂城公園) |
大坂城は、1583年、豊臣秀吉が石山本願寺の跡地に築いた城です。当時最大級の規模と豪華さを誇り、豊臣家の権力の象徴とされました。秀吉没後は子の秀頼が城主となりましたが、1615年の大坂夏の陣で徳川方に攻め落とされ、豊臣家は滅亡しました。
豊臣秀吉の側室として秀頼を生み、大坂城でその後見にあたった。1615年の大坂夏の陣で落城した際、秀頼と共にこの城で自刃したと伝わる。
豊臣秀頼の乳兄弟として大坂城で育ち、大坂の陣では豊臣方の武将として奮戦、慶長20年(1615)の若江の戦いで討死した。
慶長19年(1614)、大坂冬の陣の開戦直前に大坂城へ入り豊臣方に加わって以降、キリシタン兵を中心とする部隊を率いて冬の陣・夏の陣を通じて戦い、大坂落城後に消息を絶ったと伝わる。
豊臣秀吉の側室となり大坂城西の丸に住んだことから「西の丸殿」と呼ばれ、淀殿と並び称された。
1614年に九度山を脱出して大坂城に入城し、冬の陣では父とともに真田丸で戦う。1615年の落城に際し、豊臣秀頼の傍らで自刃した。享年14。
賤ヶ岳の七本槍の一人。関ヶ原の戦い後は大坂城で秀頼の後見役・家老として豊臣家を支えた。
1583年、豊臣秀吉が石山本願寺の跡地に築城しました。
豊臣秀吉(築城・初代城主)→豊臣秀頼(2代目)と続き、1615年の大坂夏の陣で徳川方に攻め落とされ豊臣家は滅亡しました。その後は徳川将軍家が城を再建し、江戸幕府直轄の城となりました。