「天下」が意味した範囲
信長が用いた「天下布武」の天下は、当初は日本全土ではなく、将軍のいる京都を中心とした畿内の秩序を指していたと考えられています。全国統一という意味に広がるのは、秀吉が九州・関東・奥州へ兵を進めた段階です。3人がそれぞれ天下人と呼ばれる根拠も一様ではなく、信長は将軍を擁して畿内を制した実力、秀吉は関白という朝廷の最高位、家康は征夷大将軍という武家の頂点と、拠って立つ権威が異なります。
3人が積み上げた統一の段取り
信長は足利義昭を奉じて上洛し、比叡山・本願寺・武田といった抵抗勢力を排して畿内を固めましたが、本能寺の変で倒れます。秀吉は山崎の戦いと賤ヶ岳の戦いで織田家中の主導権を握り、惣無事令で大名間の私戦を禁じ、太閤検地と刀狩で全国の生産高と武装を掌握しました。家康は関ヶ原の戦いと大坂の陣を経て、征夷大将軍として江戸幕府を開きます。
3人の関係
3人は敵味方が入れ替わりながら連続しています。秀吉は信長に仕えた家臣で、家康は信長と同盟を結んだ大名でした。信長の死後、秀吉と家康は小牧・長久手で戦い、決着がつかないまま家康が秀吉に臣従します。そして秀吉の死後、家康が豊臣家を滅ぼして政権を継ぎました。天下統一が一人の英雄によってではなく、前任者の作った仕組みを次の者が引き継ぎながら進んだことが、この流れからわかります。


