婚姻は外交そのものだった
大名同士の同盟は、当主の娘や妹を相手方へ嫁がせることで結ばれました。織田信長の妹・市が浅井長政に嫁いだのも、武田信玄の娘が北条氏政に嫁いだのも同盟の証です。したがって同盟が破れれば、嫁いだ女性は実家と婚家の間に立たされます。市は浅井・織田の手切れののち兄のもとへ戻り、のちに柴田勝家とともに北ノ庄城で果てました。
家を預かり、指揮を執った例
当主が不在または幼少のとき、女性が実質的な当主として家を保つことがありました。井伊直虎は次々に当主を失った井伊家を継いで所領を差配し、立花誾千代は父・道雪の跡を継いで家督を相続しています。また寿桂尼は今川氏の三代にわたり文書に印判を用いて政務に関与しました。彼女たちの働きは軍記物より、寄進状や書状といった実務文書に残っています。
名前が伝わらないことの多さ
この時代の女性は、史料に実名が残らないことが少なくありません。「◯◯の娘」「◯◯の方」といった記され方が一般的で、濃姫や淀殿のように広く知られる呼び名も、当時そう呼ばれていたとは限らない後世の通称です。名が伝わらないことは、その人物が何もしなかったことを意味しません。この図鑑では、通称を使う場合はそれが後世の呼び名であることを添えるようにしています。









