上杉四天王の4人

柿崎景家
越後の猛牛
上杉謙信に仕えた猛将で、上杉四天王の筆頭格。突撃戦法を得意とし「越後の猛牛」と恐れられた。
直江景綱
越後長尾氏の重臣で、長尾為景・晴景・上杉謙信の三代に仕えた。与板城を本拠とし、内政・外交から第四次川中島の戦いでの補給線確保まで幅広く謙信を支えた。

宇佐美定満
越後の軍師
上杉謙信に仕えた重臣で、上杉四天王の一人。軍略に優れ「越後の軍師」と呼ばれた。

甘粕景持
殿軍の名人
上杉謙信・景勝に仕えた重臣で、上杉四天王の一人。殿軍(しんがり)の名手として知られ、川中島の戦いでは武田軍の追撃を見事に食い止めた。
上杉二十五将との違いは?
上杉家臣には「上杉二十五将」と呼ばれる武将たちもいます。
米沢上杉まつり公式では、寛文9年(1669年)に幕府へ提出された『上杉将士書上』に関係する25人を紹介し、その中でも柿崎景家・直江景綱・宇佐美定満・甘粕景持の4人を上杉四天王としています。
つまり上杉四天王は、謙信を支えた家臣団全体の中でも、特に代表的な4人をまとめる呼称として理解すると分かりやすいでしょう。
直江兼続は上杉四天王ではないの?
上杉家を代表する武将として非常に有名なのが直江兼続です。
しかし、直江兼続が大きな力を持つようになったのは、謙信の死後、上杉景勝が上杉家を継いだ時代です。長岡市も、兼続を「上杉景勝の執政」として紹介しています。
一方、謙信の時代に直江家の重臣として活躍していたのが直江景綱です。
なお、直江景綱は兼続の実父ではありません。景綱の娘・お船が直江家を継ぎ、後に樋口与六、のちの直江兼続と結婚したことで、兼続が直江家を継承しました。
したがって、「上杉謙信を支えた上杉四天王」として掲載する人物は、直江兼続ではなく直江景綱とします。