豊臣五奉行とは?
5人のメンバーと五大老との違いを解説

豊臣五奉行とは、豊臣政権の政務や文書発給などの実務を担った人物たちのうち、石田三成・浅野長政・前田玄以・増田長盛・長束正家の5人をまとめた呼称です。

秀吉の死後にも5人は政権中枢に残り、五大老などの有力大名たちとともに豊臣政権の運営に関わりました。

石田三成が特に有名ですが、「三成が五奉行全員の上司だった」といった現代的な組織図として理解するのは正確ではありません。

豊臣五奉行の5人

文化遺産オンラインには、秀吉が亡くなった直後の1598年8月25日に、この5人が連名で鍋島直茂へ送った文書が残されています。

五奉行は何をしていた?

五奉行は、豊臣政権の行政や財政、検地、寺社・都市に関する政務、各大名との連絡、文書の発給など、さまざまな実務に関わりました。

実際の豊臣政権では複数の奉行が連署して文書を出すこともあり、さまざまな政務を共同で処理していました。

五大老との違いは?

五大老には徳川家康・前田利家・毛利輝元など、大きな領国を持つ有力大名が含まれます。

一方、五奉行には秀吉政権の内部で長く実務に携わってきた人物たちが含まれました。

大まかには、「有力大名として政権を支えた五大老」「政務の実務を支えた五奉行」という違いがあります。

石田三成は五奉行のリーダーだった?

石田三成は関ヶ原の戦いでも中心人物となったため、現在では五奉行の中で圧倒的に知名度の高い人物です。

しかし、それだけを理由に「五奉行の最高責任者」「五奉行のトップ」と断定するのは適切ではありません。

五奉行は5人が連署した文書も残しており、それぞれが豊臣政権の実務を担う重要人物でした。

参考資料

  • 文化遺産オンライン「鍋島直茂宛て豊臣家五奉行連署状」外部サイト
  • 文化遺産オンライン「増田長盛黒印状」外部サイト
  • 国立国会図書館所蔵「阿部勝則「豊臣五大老・五奉行についての一考察」」
  • 堀越祐一「『豊臣政権の権力構造』」

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