与板城

兼続の入城 1581年(天正9年)頃

城名与板城(よいたじょう)
所在地新潟県長岡市与板町与板
築城天正年間、直江景綱期に本与板城から移り築いたとされる(時期は諸説あり)
主な城主直江兼続
現状城跡(山中に遺構が残る)

与板城とは

与板城は、越後長尾家(上杉家)の重臣・直江氏の居城である。直江氏はもとは約2km離れた本与板城を本拠としていたが、天正年間、直江景綱の頃に与板城へ本拠を移したとされ、正確な築城・移転の時期については諸説あり判然としない。

1581年、直江家当主・直江信綱が暗殺されると、上杉景勝の側近だった樋口兼続が未亡人・お船の婿として直江家を継ぎ、直江兼続として与板城主となった。兼続は新田開発や鍛冶産業の振興、城下の町割りなど領国経営に力を注いだが、1598年(慶長3年)に上杉景勝が会津へ転封となり兼続も米沢へ移ったことで、与板城は廃城になったと推定されている。

1514年 長尾為景が本与板城主・飯沼頼清を滅ぼし、直江氏が本与板城主となった。
天正年間 直江景綱の頃、本与板城から与板城へ本拠を移したとされる(時期は諸説あり)。
1581年 直江信綱の死後、樋口兼続が未亡人・お船の婿となって直江家を継ぎ、直江兼続として与板城主となった。
1598年 上杉景勝の会津転封に伴い直江兼続も米沢へ移り、与板城は廃城となったとされる。
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ゆかりの武将

直江氏の居城とした人物

主君として関わった人物

与板城主・直江兼続の主君にあたる

よくある質問

Q. 与板城とは?

越後与板にあった直江氏の居城で、直江兼続が城主として新田開発や城下町整備に尽力した城。1598年の上杉家会津転封に伴い廃城となったとされる。

Q. 与板城と本与板城はどう違うのか?

本与板城はもと飯沼氏の居城で直江氏が最初に本拠とした城、与板城はその後天正年間に直江景綱期に新たに本拠を移したとされる別の城である。両者は約2km離れた位置にある。

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