与板城とは
与板城は、越後長尾家(上杉家)の重臣・直江氏の居城である。直江氏はもとは約2km離れた本与板城を本拠としていたが、天正年間、直江景綱の頃に与板城へ本拠を移したとされ、正確な築城・移転の時期については諸説あり判然としない。
1581年、直江家当主・直江信綱が暗殺されると、上杉景勝の側近だった樋口兼続が未亡人・お船の婿として直江家を継ぎ、直江兼続として与板城主となった。兼続は新田開発や鍛冶産業の振興、城下の町割りなど領国経営に力を注いだが、1598年(慶長3年)に上杉景勝が会津へ転封となり兼続も米沢へ移ったことで、与板城は廃城になったと推定されている。




