富山城(備前国)

1570年ごろ

城名富山城
所在地岡山県岡山市北区矢坂東町
築城仁和元年(885年)に富山重興が築いたと伝わるが、確実な記録は室町時代以降
主な城主宇喜多忠家
現状城跡。万成石の採石や宅地・工場用地造成により遺構の一部が失われている

富山城(備前国)とは

富山城は岡山県岡山市北区矢坂東町にあった山城で、「とみやまじょう」と読む。応仁元年(1467年)には富山長頼が松田元隆の攻撃を受けて自害し富山氏が滅亡するなど、備前における攻防の要衝であった。

永禄11年(1568年)、金川城とともに宇喜多直家によって攻略され、以後は直家の弟である宇喜多忠家が城主を任された。忠家は西の丸・東出丸を新たに築くなど城の拡張を進め、宇喜多氏の勢力拡大を支える拠点の一つとした。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで宇喜多氏が西軍主力として敗れ改易されると、翌年に小早川秀秋が備前に入封したことに伴い、富山城は廃城になったと考えられている。

1467年 松田元隆の攻撃を受け富山長頼が自害し、富山氏が滅亡したと伝わる
1568年 宇喜多直家が金川城とともに富山城を攻略
1570年ごろ 直家の弟・宇喜多忠家が城主となり、西の丸・東出丸を築いて拡張
1600年 関ヶ原の戦いで宇喜多氏が西軍として敗北
1601年 小早川秀秋の入封に伴い廃城になったとされる
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宇喜多忠家と富山城

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よくある質問

Q. 富山城はどこにありますか?

岡山県岡山市北区矢坂東町にあった山城で、旭川西岸の丘陵に築かれていました。

Q. 宇喜多忠家はなぜ富山城主になったのですか?

兄・宇喜多直家が永禄11年(1568年)に富山城を攻略した後、忠家が城主に任じられ、西の丸・東出丸を築くなど城を拡張して統治の拠点としました。

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