小山田城

1588年

城名小山田城
所在地宮城県柴田郡大河原町小山田字内道
築城天正年間(1573年-1592年)、小山田頼定による築城と伝わる
主な城主小山田頼定(筑前守)
現状本丸・二の丸とみられる平場、大手門跡、空堀などの遺構が残る

小山田城とは

小山田城は陸奥国柴田郡(現在の宮城県柴田郡大河原町)に築かれた山城で、伊達政宗の家臣・小山田頼定が天正年間にこの地を治めて築いたと伝わる。

小山田頼定は筑前守を称し、武勇に優れた伊達家臣として知られた。天正16年(1588年)の大崎合戦では軍奉行として出陣し、中新田城攻撃の際に黒川晴氏の裏切りにより伊達軍が窮地に陥る中、敵将と組み合いこれを討ち取ったものの、自らも動けぬところを討たれて戦死した。

頼定の戦死により小山田城はその後まもなく廃城になったと推測されている。現在も本丸・二の丸とみられる平場や大手門跡、空堀などの遺構が山中に残っている。

天正年間(1573年-1592年) 小山田頼定が小山田城を築城
1588年1月(天正16年) 大崎合戦が勃発し、頼定が軍奉行として出陣
1588年 中新田城攻撃の際、黒川晴氏の裏切りにより伊達軍が敗走
1588年 小山田頼定、退却戦の中で討死
1588年以降 頼定の死により小山田城は廃城になったと推測される
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軍奉行・小山田頼定の居城

小山田頼定は伊達政宗に仕えた武勇の将で、大崎合戦で軍奉行を務め討死するまで小山田城を居城とした。

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よくある質問

Q. 小山田城は誰が築きましたか?

伊達政宗の家臣・小山田頼定が天正年間に築いたと伝わります。

Q. 小山田頼定はどのように亡くなりましたか?

天正16年(1588年)の大崎合戦で軍奉行として中新田城を攻めた際、退却戦の中で敵兵と組み合い、動けなくなったところを討たれて戦死しました。

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