大垣城とは
大垣城は、美濃国(現在の岐阜県大垣市)にあった城である。築城の時期や築城主については明応9年(1500年)に竹腰尚綱が築いたとする説、天文4年(1535年)に宮川安定が築いたとする説など諸説あり、はっきりしない。永禄6年(1563年)に氏家直元が城を拡張し、天正11年(1583年)には池田恒興が本格的な整備を行い、慶長元年(1596年)ごろ伊藤盛景(祐盛)の手で望楼型三重四階の天守が築かれたとされる(四重四階になったのは元和6年〔1620年〕、久松松平氏による改修以降)。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの直前、伏見城を攻略した石田三成は美濃に入り、8月11日に大垣城へ入城した。以後、小西行長や島津義弘ら西軍諸将も次々と入城し、大垣城は美濃における西軍の前線基地となった。しかし9月14日、東軍が赤坂に着陣したとの報を受けた三成は、西軍主力を率いて大垣城を出陣し、翌15日に関ヶ原で決戦に及んだ。三成らが去ったのちも大垣城には福原長堯らが残って籠城を続けたが、関ヶ原での西軍敗北後まもなく開城した。江戸時代には戸田氏鉄が入封し、以後戸田氏11代の居城として明治維新まで存続した。




