長島城

文明14年(1482)再建

城名長島城
所在地三重県桑名市長島町
再建文明14年(1482年)、伊藤重晴による
主な城主滝川一益
現状跡地は長島中部小学校・長島中学校の敷地となり遺構はほとんど残らないが、東側に石垣と堀の一部が現存し、大手門は近くの蓮生寺に移築されている。

長島城とは

長島城は伊勢国桑名郡長島(現在の三重県桑名市長島町)にあった平城で、文明14年(1482年)に伊藤重晴によって再建されたと伝わる。元亀元年(1570年)、一向宗・願証寺の勢力によって伊藤氏一族が追放され、以後は織田信長に抵抗する長島一向一揆の中心拠点となった。信長との間で永禄・元亀・天正年間にわたり3度の大規模な合戦(長島一向一揆)が繰り広げられ、天正2年(1574年)に信長軍によって平定された。

一揆平定後、織田四天王の一人に数えられる滝川一益が長島城主となり、伊勢北部支配の拠点とした。その後一益は武田氏攻めの功により上野厩橋城へ移るが、天正10年(1582年)の本能寺の変後、関東から神流川の戦いを経て敗走し、再び長島城へと帰還している。

1482年(文明14年) 伊藤重晴により長島城が再建される。
1570年 願証寺を中心とする勢力が伊藤氏を追放し、長島一向一揆の拠点となる。
1571年~1574年 織田信長と長島一向一揆との間で3度にわたる激戦が繰り広げられる。
1574年 信長軍により長島一向一揆が平定され、滝川一益が長島城主となる。
1582年 本能寺の変後、関東から敗走した一益が長島城へ帰還する。
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長島城主・滝川一益

長島一向一揆平定後、伊勢北部支配の拠点とした

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よくある質問

Q. 長島城はなぜ長島一向一揆の拠点になったのですか?

木曽三川に囲まれた要害の地であったことに加え、一向宗の有力寺院・願証寺の勢力圏にあったため、信長に抵抗する一揆勢力の中心拠点となった。

Q. 長島城の跡地は今どうなっていますか?

現在は長島中部小学校・長島中学校の敷地となっており、目立った遺構はほとんど残らないが、東側に石垣と堀の一部が現存し、大手門は近隣の蓮生寺に移築されている。

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