松山城(伊予)

慶長7年(1602)~寛永4年(1627)

城名松山城(伊予松山城)
所在地愛媛県松山市
築城慶長7年(1602)、加藤嘉明
主な城主加藤嘉明
現状現存12天守のひとつ、国の史跡・重要文化財

松山城(伊予)とは

伊予松山城は、賤ヶ岳七本槍の一人として知られる加藤嘉明が、関ヶ原の戦いの功により伊予20万石を与えられたことを機に、慶長7年(1602)から築城を開始した平山城である。

それまで「勝山」と呼ばれていた地名は、築城とともに「松山」と改められた。嘉明はそれまで本拠としていた正木城(松前城)に代えてこの新城を本拠とし、四国屈指の堅城を築き上げた。

寛永4年(1627)、嘉明は会津40万石への加増転封となり、自らは松山城の完成を見ることはなかった。城はその後入封した蒲生忠知の代に完成したとされる。

1602年 加藤嘉明が勝山に築城を開始
1603年 地名を「勝山」から「松山」に改める
1627年 嘉明が会津へ転封、松山を離れる
1627年以降 蒲生忠知の代に天守などが完成
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加藤嘉明 - 築城主

寛永4年(1627)の会津転封後は会津若松城(既存ページ)を居城とした。

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よくある質問

Q. 松山城は加藤嘉明一代で完成しましたか?

いいえ。嘉明は慶長7年(1602)に築城を開始しましたが、寛永4年(1627)に会津へ転封となり、完成を見ないまま松山を離れました。天守などは後を継いだ蒲生忠知の代に完成したとされます。

Q. 加藤嘉明はその後どの城を居城としましたか?

会津へ転封後は会津若松城を居城としました。

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