松山城(伊予)とは
伊予松山城は、賤ヶ岳七本槍の一人として知られる加藤嘉明が、関ヶ原の戦いの功により伊予20万石を与えられたことを機に、慶長7年(1602)から築城を開始した平山城である。
それまで「勝山」と呼ばれていた地名は、築城とともに「松山」と改められた。嘉明はそれまで本拠としていた正木城(松前城)に代えてこの新城を本拠とし、四国屈指の堅城を築き上げた。
寛永4年(1627)、嘉明は会津40万石への加増転封となり、自らは松山城の完成を見ることはなかった。城はその後入封した蒲生忠知の代に完成したとされる。



