毛利両川とは?
吉川元春と小早川隆景が支えた毛利家の両川体制

毛利両川とは、毛利元就の次男・吉川元春と三男・小早川隆景、そして二人が継いだ吉川家・小早川家が毛利宗家を支えた体制を指します。

「両川(りょうせん)」とは、吉川と小早川という二つの「川」を持つ家を表した呼び方です。

後世に名将を何人か選んだ「四天王」や「二十四将」とは性質が異なり、元春が吉川氏を、隆景が小早川氏を継承したことで形成された毛利氏の政治・軍事体制と深く関わっています。

毛利元就の3人の息子

毛利元就の主要な後継者として重要なのが、次の3人です。

  • 長男:毛利隆元
  • 次男:吉川元春
  • 三男:小早川隆景

長男の隆元は毛利宗家を継ぎ、元春は吉川氏、隆景は小早川氏を継ぎました。

三原市は、隆元が早くに亡くなった後、元春と隆景が毛利氏の躍進を支える大きな存在となったことから、二人を合わせて「毛利の両川」と呼んだと紹介しています。

なぜ吉川家と小早川家が重要だった?

吉川氏と小早川氏は、もともと毛利氏とは別の有力国人でした。

元就の息子である元春と隆景がそれぞれの家を継ぐことで、毛利氏は周辺の有力勢力を一族の中へ取り込みました。

その後、吉川元春と小早川隆景は軍事・外交などで毛利宗家を支え、中国地方へ勢力を広げた毛利氏の重要な柱となっていきます。

「三本の矢」と同じもの?

毛利元就と3人の息子といえば、「三本の矢」の逸話も非常に有名です。

しかし、三本の矢の物語と「毛利両川」という政治・軍事体制は同じものではありません。

三本の矢は、兄弟が力を合わせる重要性を伝える逸話として知られています。

一方、毛利両川で重要なのは、元春が吉川氏、隆景が小早川氏を継ぎ、その二つの家が毛利宗家を支える実際の体制が形成されたことです。

参考資料

  • 三原市「小早川隆景」外部サイト
  • 広島県「戦国大名とひろしま ~毛利元就~」
  • 広島県文化財資料「小早川隆景墓」

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