吉田城とは
吉田城は1505年、牧野古白が三河国東部の要衝に今橋城として築いた城です。戸田氏との抗争の最前線として重視され、のちに吉田城と改められました。
1564年、徳川家康がこの城を攻略すると、家臣・酒井忠次を城主に据えました。忠次は東三河の旗頭として松平(徳川)一族を含む東三河衆を統率し、家康が関東へ移封される1590年まで20年以上にわたって吉田城を治めました。
1564年、酒井忠次が城主に
| 城名 | 吉田城(前身: 今橋城) |
|---|---|
| 所在地 | 三河国・吉田(現・愛知県豊橋市今橋町) |
| 築城/入城など | 1505年(永正2年)、牧野古白が今橋城として築城。1564年(永禄7年)、徳川家康が攻略し酒井忠次を城主とする |
| 主な城主 | 酒井忠次 |
| 現状 | 本丸・二の丸の石垣や堀の一部が残り、鉄櫓が再建されている |
吉田城は1505年、牧野古白が三河国東部の要衝に今橋城として築いた城です。戸田氏との抗争の最前線として重視され、のちに吉田城と改められました。
1564年、徳川家康がこの城を攻略すると、家臣・酒井忠次を城主に据えました。忠次は東三河の旗頭として松平(徳川)一族を含む東三河衆を統率し、家康が関東へ移封される1590年まで20年以上にわたって吉田城を治めました。
1590年の徳川家康関東移封に伴い吉田城主となり、1601年に姫路へ転封するまで在城、城と城下町の大改修に着手した。
1564年に徳川家康が攻略した後、酒井忠次が城主となり20年以上にわたって統治しました。
徳川家康が今川方から吉田城を攻略した際、東三河の旗頭として一族統率を任され、初めて城持ちとなった家臣が酒井忠次でした。