淀古城

築城 15世紀後半/淀殿の産所として改修 1589年

城名淀古城(よどこじょう)
所在地京都府京都市伏見区納所(山城国)
築城/入城など15世紀後半 山城守護・畠山政長が築城したとされる/1589年 豊臣秀長が改修し淀殿の産所となる
主な城主淀殿(豊臣秀吉の側室)
現状廃城。遺構はほとんど残らず、跡地付近に石碑が建つ

淀古城とは

淀古城は山城国久世郡納所(現在の京都府京都市伏見区)にあった城で、木津川・桂川・宇治川の三川合流点北岸という天然の要害に築かれた。築城時期は明確ではないが、応仁の乱前後に山城守護・畠山政長が守護所を勝竜寺城から移したのが始まりとされる。

1589年、豊臣秀吉は弟・秀長に城を改修させ、側室・茶々にこの城を与えて出産の地とした。これにより茶々は「淀殿」と呼ばれるようになり、秀吉の子・鶴松を出産したが、鶴松は数え3歳(満2歳)で夭折した。1595年、豊臣秀次事件に連座して最後の城主・木村重茲が処罰されると、淀古城も廃城となった。なお江戸時代に築かれた淀城は同じ淀の地にあるが別の城で、淀古城とは築城の経緯も立地もやや異なる。

15世紀後半 山城守護・畠山政長が築城したとされる
1589年 豊臣秀吉が城を改修し、側室・茶々(淀殿)の産所とする。ここで鶴松を出産し「淀殿」と呼ばれるようになる
1591年 鶴松が2歳で死去
1595年 豊臣秀次事件に連座し、最後の城主・木村重茲が処罰され廃城となる
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淀殿と呼ばれる由来となった居城

1589年にこの城を秀吉から与えられ、鶴松を出産したことから「淀殿」と称されるようになった。江戸時代に別地に築かれた淀城とは異なる城。

よくある質問

Q. 淀古城はどんな城ですか?

山城国納所(現在の京都府京都市伏見区)にあった城で、木津川・桂川・宇治川の合流点という天然の要害に築かれました。応仁の乱前後に畠山政長が築いたとされます。

Q. 淀古城と江戸時代の淀城は同じ城ですか?

別の城です。淀古城は納所にあった戦国期の城で1595年に廃城となり、江戸時代の淀城は1623年ごろ別の場所に新たに築かれました。

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