淀古城とは
淀古城は山城国久世郡納所(現在の京都府京都市伏見区)にあった城で、木津川・桂川・宇治川の三川合流点北岸という天然の要害に築かれた。築城時期は明確ではないが、応仁の乱前後に山城守護・畠山政長が守護所を勝竜寺城から移したのが始まりとされる。
1589年、豊臣秀吉は弟・秀長に城を改修させ、側室・茶々にこの城を与えて出産の地とした。これにより茶々は「淀殿」と呼ばれるようになり、秀吉の子・鶴松を出産したが、鶴松は数え3歳(満2歳)で夭折した。1595年、豊臣秀次事件に連座して最後の城主・木村重茲が処罰されると、淀古城も廃城となった。なお江戸時代に築かれた淀城は同じ淀の地にあるが別の城で、淀古城とは築城の経緯も立地もやや異なる。



