蔚山倭城とは
蔚山倭城は、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)のうち慶長の役の最中、慶長2年(1597年)11月に朝鮮半島南東部の蔚山(現在の大韓民国蔚山広域市)に築かれた日本式城郭である。加藤清正が縄張りを行い、毛利秀元・浅野幸長らが普請にあたったとされ、突貫工事で築かれたため、築城途中の段階で実戦に投入されることになった。
同年12月、明・朝鮮連合軍数万が来襲し、まだ未完成で兵糧の備蓄も乏しい状態の蔚山倭城を包囲した(蔚山城の戦い)。在番の浅野幸長に加え、駆けつけた加藤清正らも城内に籠もり、厳寒の中で飢えと渇きに耐えながら籠城戦を耐え抜いたと伝わる。毛利秀元・黒田長政らの後詰が到着したことで包囲は解かれたが、この戦いは日本軍にとって朝鮮出兵の過酷さを象徴する出来事として語られている。なお本項は対外侵略戦争であった朝鮮出兵という事実関係を踏まえ、特定の立場を美化することのないよう努めている。



