蔚山倭城

築城 1597年(慶長2年)

城名蔚山倭城(別名:島山城・甑城)
所在地朝鮮・慶尚道蔚山(現在の大韓民国蔚山広域市中区)
築城1597年(慶長2年)11月、加藤清正の縄張りによる
主な城主浅野幸長(在番)/加藤清正(籠城戦を指揮)
現状城跡が鶴城公園として整備され、石垣の一部が現存

蔚山倭城とは

蔚山倭城は、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)のうち慶長の役の最中、慶長2年(1597年)11月に朝鮮半島南東部の蔚山(現在の大韓民国蔚山広域市)に築かれた日本式城郭である。加藤清正が縄張りを行い、毛利秀元・浅野幸長らが普請にあたったとされ、突貫工事で築かれたため、築城途中の段階で実戦に投入されることになった。

同年12月、明・朝鮮連合軍数万が来襲し、まだ未完成で兵糧の備蓄も乏しい状態の蔚山倭城を包囲した(蔚山城の戦い)。在番の浅野幸長に加え、駆けつけた加藤清正らも城内に籠もり、厳寒の中で飢えと渇きに耐えながら籠城戦を耐え抜いたと伝わる。毛利秀元・黒田長政らの後詰が到着したことで包囲は解かれたが、この戦いは日本軍にとって朝鮮出兵の過酷さを象徴する出来事として語られている。なお本項は対外侵略戦争であった朝鮮出兵という事実関係を踏まえ、特定の立場を美化することのないよう努めている。

1597年11月 加藤清正の縄張りにより蔚山倭城の築城が始まる
1597年12月22日 明・朝鮮連合軍が未完成の蔚山倭城を包囲し、蔚山城の戦いが始まる
1598年1月4日 毛利秀元・黒田長政らの後詰が到着し、連合軍の包囲が解かれる
1598年9月 再び明・朝鮮連合軍の攻撃を受けるが、これを撃退する
1598年11月 豊臣秀吉の死去に伴う日本軍撤退により、加藤清正らは蔚山倭城から撤収する
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ゆかりの武将

籠城戦を耐えた人物

在番の城将は浅野幸長で、清正は後詰として入城し共に籠城戦を指揮した

よくある質問

Q. 蔚山倭城とは?

慶長の役の際、加藤清正の縄張りで朝鮮半島の蔚山に築かれた日本式城郭。築城直後に明・朝鮮連合軍の大軍に包囲され、清正らが過酷な籠城戦を耐え抜いたことで知られる。

Q. 蔚山城の戦いとは?

1597年末から1598年初めにかけて、明・朝鮮連合軍が未完成の蔚山倭城を包囲した戦い。城内は兵糧が乏しく厳寒の中での籠城となったが、後詰の到着により連合軍は撤退した。

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