上原城

1466年築城/1542年板垣信方が城代となる

城名上原城(うえはらじょう)
所在地長野県茅野市茅野上原
築城1466年(文正元年)、諏訪信満
主な城主板垣信方
現状城跡が残り、金毘羅山山頂に石碑が建つ

上原城とは

上原城は文正元年(1466年)、諏訪信満によって築かれた城で、以後は諏訪総領家代々の本拠として機能した。金毘羅山の山頂に築かれた詰城と、中腹の居館部分からなる根小屋式の山城である。

天文11年(1542年)、武田晴信(信玄)の侵攻を受けると、城主・諏訪頼重は上原城を自ら焼き払って桑原城へ退却し降伏した。信玄はこの地を接収すると、重臣板垣信方を諏訪郡代および上原城代に任じ、諏訪支配の実務を委ねた。

信方は城下の町割りを整備するなど諏訪支配の基盤を築いたが、天文17年(1548年)の上田原の戦いで討死した。その後も上原城は武田氏の諏訪支配拠点として機能し続けたが、天正10年(1582)の武田氏滅亡とともに廃城となった。

1466年 諏訪信満が上原城を築く
1542年 武田信玄の侵攻により諏訪頼重が降伏、板垣信方が諏訪郡代・上原城代に任じられる(実際の任命は翌天文12年〈1543年〉4月とする史料もある)
1548年 板垣信方、上田原の戦いで討死
1582年 武田氏滅亡とともに廃城
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ゆかりの武将

武田家臣時代の城代

信方の死後は弟・室住虎登、のち長坂虎房が城代を継いだ。

よくある質問

Q. 上原城は誰が城主でしたか?

諏訪総領家代々の本拠であったが、1542年に武田信玄が諏訪を征服した後は、重臣・板垣信方が諏訪郡代・上原城代として支配を担った。

Q. 板垣信方はどのように上原城と関わりましたか?

武田信玄により諏訪郡代・上原城代に任じられ、城下町の整備など諏訪支配の実務を担ったが、1548年の上田原の戦いで討死した。

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