三城城

永禄7年(1564)築城

城名三城城
所在地長崎県大村市
築城永禄7年(1564年)
主な城主大村純忠
現状本丸跡には日本二十六聖人殉教記念碑(1934年建立)が建ち、境内地の一部は富松神社・三城神社となっている。石垣以前の築城のため遺構は乏しく、土塁・空堀の一部が残るのみ。

三城城とは

三城城は永禄7年(1564年)、肥前大村地方を治めた大村純忠が本拠として新たに築いた城で、以後、大村氏の本城として機能した。純忠は前年の永禄6年(1563年)に洗礼を受けて日本初のキリシタン大名となっており、三城城下でも南蛮貿易とキリスト教布教が進められた。

元亀3年(1572年)、純忠と対立する後藤貴明・西郷純堯・松浦隆信らの連合軍に三城城を包囲されたが、純忠はわずかな手勢で持ちこたえ、援軍を得て包囲を解かせた。この戦いは「三城七騎籠り」として大村氏の武勇伝として語り継がれている。純忠は晩年、坂口の居館に隠居し天正15年(1587年)に没した。純忠の子・喜前が慶長4年(1599年)に玖島城を新築して移った後、三城城はその役目を終えた。

1564年 大村純忠が三城城を築き、大村氏の本城とする。
1563年(永禄6年) 純忠が洗礼を受け、日本初のキリシタン大名となる(三城城築城の前年)。
1572年 後藤貴明・西郷純堯・松浦隆信らの連合軍に城を包囲されるが、純忠は寡兵で籠城し撃退する(三城七騎籠り)。
1587年 純忠、坂口の居館にて死去。
1599年 純忠の子・喜前が玖島城を築いて移り、三城城は廃城となる。
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ゆかりの武将

三城城主・大村氏

大村純忠が本城として築城し、以後大村氏歴代の居城となった

よくある質問

Q. 三城城はなぜ「三城」と呼ばれるのですか?

詳細な由来には諸説あるが、丘陵上の複数の郭(三つの峰・曲輪群)を城域としたことにちなむとされる。

Q. 三城城の現在の様子はどうなっていますか?

本丸跡には日本二十六聖人殉教記念碑が建てられ、一部は富松神社・三城神社の境内地となっている。石垣を用いない築城のため、目立った石造りの遺構は残っていない。

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