箕輪城

築城 1500年頃

城名箕輪城
所在地群馬県高崎市箕郷町(上野国群馬郡)
築城/入城など1500年頃 長野氏が築城/1590年 井伊直政が入城
主な城主井伊直政(最後の城主)
現状国指定史跡・日本100名城。空堀や土塁など遺構が良好に残る

箕輪城とは

箕輪城は1500年頃に長野氏が築いたと伝わる山城で、以後4代にわたり長野氏の本拠となった。城主・長野業政の時代には武田信玄による幾度もの攻撃を退け、「上州の要害」として知られたが、1566年に信玄の猛攻の前に落城し長野氏は滅亡した。

その後は武田氏、織田氏(滝川一益)、北条氏の支配を経て、1590年の小田原征伐後、徳川家康の関東移封に伴い井伊直政が12万石で入封。直政は箕輪城を近代城郭に改修して城下町も整備したが、1598年に高崎城を新築して移ったため箕輪城は廃城となり、約80年の歴史を終えた。

1500年頃 長野氏が箕輪城を築城したと伝わる
1566年 武田信玄の攻撃により落城し、長野氏が滅亡
1590年 小田原征伐後、徳川家康の関東移封に伴い井伊直政が12万石で箕輪城主となり近代城郭へ改修
1598年 井伊直政が高崎城へ移り、箕輪城は廃城となる
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ゆかりの武将

最後の城主

築城した長野氏や、攻め寄せた武田信玄との攻防でも知られる

武田四天王の一人、箕輪城代として上野を守る

戦死した浅利信種の後任として元亀元年(1570年)頃に箕輪城代となり、1575年の長篠の戦いで討死するまで務めた。

箕輪城主として武田信玄を六度撃退した名将

1530年代に家督を継いで箕輪城主となり、1561年に没するまで西上野支配の拠点として城を守り抜いた。武田信玄を六度にわたり撃退したと伝わる。

よくある質問

Q. 箕輪城はどんな城ですか?

上野国の国人・長野氏が築いた戦国屈指の堅城で、城主・長野業政は武田信玄の攻撃を幾度も退けたことで知られます。長野氏滅亡後、井伊直政が最後の城主となりました。

Q. 箕輪城と井伊直政の関係は?

1590年の徳川家康の関東移封に伴い、井伊直政が12万石で箕輪城主となり近代城郭へ改修しました。1598年に高崎城へ移るまでの約8年間、居城としました。

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