益富城

戦国時代~江戸時代初期

城名益富城(大隈城)
所在地福岡県嘉麻市中益
築城永享年間初頭(1429~1431年ごろ)、大内盛見によると伝わる
主な城主後藤又兵衛
現状嘉穂益富城自然公園として整備、曲輪跡・竪堀群・石垣跡が残る

益富城とは

益富城は永享年間(1429~1441年)に大内盛見が築いたと伝わり、その後は毛利元就の領有を経て、戦国時代末期には古処山城を本拠とする秋月氏の支城の一つとなった。天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定の際には、一夜のうちに張りぼての城壁を築いて秋月氏を戦意喪失させたという「一夜城」伝説が残る。

慶長5年(1600年)、黒田長政が筑前に入封すると、益富城(大隈城)は福岡藩の国境を守る「筑前六端城」の一つに位置づけられ、1万6千石を領する後藤又兵衛(基次)が城代として入った。又兵衛は6年間にわたり城代を務めたが、黒田長政との確執から慶長11年(1606年)に黒田家を出奔し、後に大坂の陣で豊臣方として戦うことになる。城は元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。

1429年 大内盛見によって築かれたと伝わる(異説あり)
1587年 豊臣秀吉の九州平定に際し、一夜城の伝説が残る
1600年 黒田長政の筑前入封に伴い、後藤又兵衛が筑前六端城の一つ・大隈城の城代となる
1606年 後藤又兵衛、黒田家を出奔し大隈城を去る
1617年 一国一城令により廃城
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ゆかりの武将

後藤又兵衛と大隈城

黒田家臣として筑前六端城の一つ・大隈城の城代を6年間務めた

よくある質問

Q. 益富城(大隈城)はどこにありますか?

福岡県嘉麻市中益にあった山城で、現在は嘉穂益富城自然公園として整備されています。

Q. 後藤又兵衛はなぜ大隈城主になったのですか?

慶長5年(1600年)に黒田長政が筑前に入封した際、福岡藩の国境防衛を担う筑前六端城の一つとして大隈城が位置づけられ、1万6千石の所領とともに後藤又兵衛が城代に任じられました。

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