甲府城とは
甲府城は武田氏滅亡後、天正19年(1591年)頃に豊臣秀吉の命を受けた加藤光泰が築城を開始した。徳川家康の勢力に備える西の要として、本丸・天守曲輪・稲荷曲輪などの中心部分が整備された。
文禄2年(1593年)、朝鮮出兵での功により浅野長政は甲斐国21万5千石を与えられ、甲府城主となった。長政・幸長父子は築城を引き継いで完成させ、家紋瓦や金箔・朱を施した瓦など豊臣流の豪華な城郭とした。慶長4年(1599年)、家康暗殺疑惑に連座した長政は隠居し、家督と甲府城主の座を子の幸長に譲った。
天正~文禄年間(1580~90年代)
| 城名 | 甲府城(舞鶴城) |
|---|---|
| 所在地 | 山梨県甲府市丸の内 |
| 築城 | 天正19年(1591年)頃、加藤光泰が着工し浅野長政・幸長父子が完成させた |
| 主な城主 | 浅野長政 |
| 現状 | 舞鶴城公園として石垣・稲荷櫓(復元)などが残る |
甲府城は武田氏滅亡後、天正19年(1591年)頃に豊臣秀吉の命を受けた加藤光泰が築城を開始した。徳川家康の勢力に備える西の要として、本丸・天守曲輪・稲荷曲輪などの中心部分が整備された。
文禄2年(1593年)、朝鮮出兵での功により浅野長政は甲斐国21万5千石を与えられ、甲府城主となった。長政・幸長父子は築城を引き継いで完成させ、家紋瓦や金箔・朱を施した瓦など豊臣流の豪華な城郭とした。慶長4年(1599年)、家康暗殺疑惑に連座した長政は隠居し、家督と甲府城主の座を子の幸長に譲った。
豊臣政権下で徳川家康に備える要地・甲斐国の城主を務めた
文禄2年(1593年)、朝鮮出兵での功績により甲斐国21万5千石を与えられ、甲府城主となりました。
豊臣政権が東国の徳川家康を牽制する目的で築いた要衝であり、浅野長政・幸長父子の時代に金箔瓦なども用いた豊臣流の豪壮な城郭として完成されました。