勝幡城とは
勝幡城は織田信長の祖父・織田信定が津島の富を背景に築いた城で、織田弾正忠家が尾張進出の足がかりとした拠点である。
織田信秀もこの城を拠点に勢力を伸ばしたが、近年の研究では1534年当時、那古野城はまだ今川方の支配下にあったとされ、信長はこの勝幡城で生まれたとする説が有力視されるようになっている。
信秀が1538年頃に今川氏豊から那古野城を奪って本拠を移すと、勝幡城はその役割を終えた。現在は河川改修により本丸跡が川底に沈み、遺構はほとんど残っていない。
1520年代築城(伝)
| 城名 | 勝幡城 |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県愛西市勝幡町・稲沢市平和町六輪 |
| 築城 | 織田信定(信秀の父)による、1520年代頃と伝わる |
| 主な城主 | 織田信秀 |
| 現状 | 遺構はほとんど残らず、勝幡駅前に石碑・案内板がある |
勝幡城は織田信長の祖父・織田信定が津島の富を背景に築いた城で、織田弾正忠家が尾張進出の足がかりとした拠点である。
織田信秀もこの城を拠点に勢力を伸ばしたが、近年の研究では1534年当時、那古野城はまだ今川方の支配下にあったとされ、信長はこの勝幡城で生まれたとする説が有力視されるようになっている。
信秀が1538年頃に今川氏豊から那古野城を奪って本拠を移すと、勝幡城はその役割を終えた。現在は河川改修により本丸跡が川底に沈み、遺構はほとんど残っていない。
織田信長生誕の地とも伝わる
従来は那古野城生誕説が有力でしたが、1534年当時の那古野城はまだ今川方の支配下にあったとする史料研究から、近年は勝幡城生誕説が有力視されています。
江戸時代の河川改修で本丸跡は川底に沈んだとされ、現在は石碑や案内板、推定復元模型があるのみです。