岩屋城

天正14年(1586年)

城名岩屋城
所在地福岡県太宰府市浦城(四王寺山中腹)
築城天文年間(1532~1555年)、高橋鑑種によると伝わる
主な城主高橋紹運
現状岩屋城跡として石碑・高橋紹運の墓所などが残る

岩屋城とは

岩屋城は天文年間(1532~1555年)に大友氏の武将・高橋鑑種が築いたと伝わる山城で、太宰府の背後にそびえる四王寺山の中腹に位置する。立花城と並ぶ大友氏の筑前支配の拠点として重視された。

永禄12年(1569年)頃、高橋紹運が高橋家の家督を継いで岩屋城主となった。天正14年(1586年)、豊後侵攻を目指す島津軍5万が北上すると、紹運はわずか763名の城兵とともに徹底抗戦を選び、長男・立花宗茂の立花城や次男・高橋統増の宝満山城へ逃れることなく岩屋城に踏みとどまった。半月に及ぶ攻防の末、7月27日に紹運以下城兵は全員討死し、岩屋城は落城した。この抵抗が島津軍の進軍を遅らせ、後の豊臣軍による九州平定を側面から支えたとされる。

1547年頃 高橋鑑種によって築かれたと伝わる
1567年頃 高橋紹運が家督を継ぎ岩屋城主となる
1586年7月 島津忠長らの大軍に包囲され「岩屋城の戦い」が始まる
1586年7月27日 紹運以下763名が全員討死し、岩屋城は落城
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ゆかりの武将

高橋紹運、岩屋城に散る

島津の大軍を相手に徹底抗戦し、城兵と共に玉砕した最期の舞台

よくある質問

Q. 岩屋城の戦いとはどのような戦いですか?

天正14年(1586年)、島津軍5万の北上に対し、高橋紹運がわずか763名の城兵とともに半月にわたり徹底抗戦し、最終的に全員が討死した戦いです。

Q. 高橋紹運はなぜ岩屋城に留まったのですか?

長男・立花宗茂がいる立花城や、次男・高橋統増と避難民がいる宝満山城へ逃れず、自らが囮となって島津軍の進軍を食い止めるため岩屋城に踏みとどまったと言われています。

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