岩殿城

1582年(天正10年)

城名岩殿城(岩殿山城)
所在地山梨県大月市賑岡町
築城/入城など小山田氏により築かれ、郡内支配の詰城として機能
主な城主小山田信茂
現状山梨県指定史跡。曲輪跡・堀切跡などの遺構が残る(石垣の存在は確認されていない)

岩殿城とは

岩殿城(岩殿山城)は山梨県大月市賑岡町の岩殿山(標高634m)に築かれた山城で、郡内地方(都留郡)を治めた小山田氏の詰城として知られる。小山田氏は永正6年(1509)に武田氏の傘下に入り、以後は甲斐と相模の国境を守る要衝としてこの城を維持した。

天正10年(1582)、織田・徳川連合軍による甲斐侵攻に際し、当時の当主・小山田信茂は主君・武田勝頼を岩殿城へ迎え入れる約束をしていたが、土壇場で織田方に寝返り、勝頼一行を城下に入れなかった。行き場を失った勝頼は天目山麓の田野で自害し、武田氏は滅亡した。信茂はその後、織田信忠のもとへ降伏を申し出たが「不忠者」として許されず、甲斐善光寺にて一族もろとも処刑された。

不詳(中世) 小山田氏により築かれたと伝わる
1509年 小山田氏が武田氏の傘下に入り、岩殿城は武田氏の郡内支配の拠点となる
1565年頃 小山田信茂が家督を継ぎ岩殿城主となる
1582年 織田・徳川軍の甲斐侵攻に際し、信茂は武田勝頼を迎え入れず離反。勝頼は天目山で自害し武田氏滅亡
1582年 信茂も裏切りの罪により処断される
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小山田氏の詰城

郡内支配の拠点、勝頼裏切りの舞台

よくある質問

Q. 小山田信茂はなぜ岩殿城で有名なのですか?

天正10年(1582)、武田勝頼が織田・徳川軍に追われて岩殿城を頼ろうとした際、城主の信茂が土壇場で寝返って迎え入れず、勝頼を天目山での自害に追い込んだ「裏切り」の舞台として知られる。

Q. 岩殿城は現在どうなっていますか?

山梨県指定史跡として保存され、標高634mの岩殿山山頂付近に曲輪跡や堀切跡などの遺構を見ることができる(石垣は確認されていない)。

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