日野江城

鎌倉期築城(伝)、1618年廃城

城名日野江城
所在地長崎県南島原市北有馬町
築城鎌倉時代、有馬経澄によると伝わる(異説あり)
主な城主有馬晴信
現状1618年廃城、現在は国指定史跡

日野江城とは

日野江城は肥前西部を治めた有馬氏が約400年にわたり本拠とした居城で、有馬川河口の丘陵に築かれた平山城である。

1571年に家督を継いだ有馬晴信はこの城を居城とし、1580年に宣教師ヴァリニャーノから洗礼を受けてキリシタン大名となり、城下には神学校「有馬セミナリヨ」を設けて南蛮貿易と布教の拠点とした。

1612年の岡本大八事件により晴信が失脚・死罪となり、子の直純も日向へ転封となった。代わって入封した松倉重政が1618年に島原城の築城に着手すると、一国一城令により支城の原城とともに日野江城は廃城となった。

1571年 有馬晴信が家督を継ぎ、日野江城に入った
1580年 晴信が宣教師ヴァリニャーノから洗礼を受け、キリシタン大名となった
1582年 天正遣欧少年使節が有馬のセミナリヨなどから選ばれ、ローマへ派遣された
1612年 岡本大八事件により有馬晴信が改易・死罪となった
1618年 一国一城令により、支城の原城とともに日野江城が廃城となった
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肥前有馬氏の居城

よくある質問

Q. 日野江城は有馬氏にとってどんな城でしたか?

約400年にわたり肥前有馬氏歴代の居城となった本拠地で、有馬晴信の時代にはキリシタン文化の中心地としてセミナリヨ(神学校)も置かれました。

Q. 日野江城はいつ廃城になりましたか?

1618年、江戸幕府の一国一城令により、支城の原城とともに廃城となりました。

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