檜原城

1585年(天正13年)

城名檜原城(ひばらじょう)
所在地福島県耶麻郡北塩原村桧原
築城天正13年(1585年)、伊達政宗
主な城主後藤信康(初代城代)
現状標高950m前後の山上に堀切・土塁・虎口などの遺構が残る

檜原城とは

檜原城は福島県耶麻郡北塩原村、蘆名領との国境に近い標高950メートル前後の山上に築かれた山城である。天正13年(1585年)、会津侵攻を進める伊達政宗が最前線の拠点として新たに築城したと伝えられる。

政宗は築城にあたり家臣の後藤信康を城代に任命した。檜原城は蘆名氏との緊張が続く国境地帯にあり守備は極めて過酷であったとされ、信康はたびたび政宗に配置換えを願い出たと伝わるほどであった。

天正17年(1589年)の摺上原の戦いで政宗が蘆名義広を破り会津を制圧すると、檜原城の国境防衛としての役割は薄れていった。豊臣政権下の奥州仕置や蒲生氏の会津入部を経て廃城になったとみられ、現在は山中に堀切や土塁、虎口などの遺構が良好な状態で残っている。

1585年(天正13年) 伊達政宗が会津侵攻の前線拠点として檜原城を築城、後藤信康を城代とする
1585年~1589年 後藤信康が蘆名氏との国境守備にあたる
1589年(天正17年) 摺上原の戦いで政宗が蘆名義広を破り会津を平定、檜原城の前線としての役割が低下
1590年代 奥州仕置後、蒲生氏の会津入部などを経て廃城になったとみられる
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国境守備を担った初代城代

後藤信康は檜原城の初代城代として蘆名領との国境を守る過酷な任務にあたった。

よくある質問

Q. 檜原城は誰が築きましたか?

天正13年(1585年)、会津侵攻を進める伊達政宗が蘆名領との国境を守る前線拠点として築いたとされます。

Q. 後藤信康は檜原城でどのような役割を果たしましたか?

檜原城の初代城代に任じられ、蘆名氏との緊張が続く国境地帯の守備という過酷な任務にあたりました。

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