福知山城

築城 天正7年(1579年)ごろ

城名福知山城(旧称・横山城)
所在地京都府福知山市(丹波国)
築城天正7年(1579年)ごろ 明智光秀
主な城主明智光秀、明智秀満、有馬豊氏 ほか
現状天守は昭和61年(1986年)再建(模擬天守)。石垣・銅門番所などが現存

福知山城とは

福知山城は、丹波国(現在の京都府福知山市)にあった城で、織田信長の命を受けて丹波平定を進めていた明智光秀が、天正7年(1579年)にその総仕上げとして築いた城である。もとはこの地の国衆・塩見氏(横山氏)が拠っていた横山城であったが、光秀はこれを攻略して手中に収め、城の名を「福知山城」と改めて近世的な城郭へと大きく作り替えた。

光秀は自らの城代として婿養子の明智秀満、家臣の藤木権兵衛らを配置し、丹波支配の拠点とした。しかし天正10年(1582年)の本能寺の変ののち、光秀が山崎の戦いで敗死すると明智氏による統治はわずか3年ほどで終わり、以後は城主が幾度も交代した。現在に伝わる連結式天守などの縄張りは、江戸時代初期に入城した有馬豊氏の頃に完成したとされる。

天正7年(1579年) 明智光秀が横山城を攻略し、丹波平定を完了。城を福知山城と改め、近世城郭として築城・改修する
天正10年(1582年) 本能寺の変ののち光秀が山崎の戦いで敗死し、明智氏による福知山支配が終わる
慶長年間(1596年〜1615年)ごろ 有馬豊氏の代に天守や石垣を含む現在の城の姿が完成したとされる
明治初年 廃城令により天守などが取り壊される
昭和61年(1986年) 市民の「一人一瓦運動」により天守が再建される
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よくある質問

Q. 福知山城とは?

京都府福知山市にある城で、丹波平定を進めた明智光秀が天正7年(1579年)ごろに横山城を改修して築いた近世城郭である。

Q. 福知山城は誰が築いた?

織田信長の命により丹波攻略を進めていた明智光秀が、国衆・塩見氏の横山城を攻め落として改修し、福知山城として整備した。

Q. 福知山城の天守は現存している?

江戸期の天守は明治の廃城令で取り壊された。現在の天守は昭和61年(1986年)に市民の寄付「一人一瓦運動」によって再建された模擬天守である。

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