江尻城とは
江尻城は駿河国庵原郡江尻(現・静岡県静岡市清水区)にあった平城で、元亀元年(1570)、駿河を制圧した武田信玄が巴川河口の要地に築かせた。城主には山県昌景が任じられ、対徳川・対北条の駿河支配拠点として機能した。
天正3年(1575)の長篠の戦いで山県昌景が討死すると、天正3年(1575)頃からは武田一門衆の穴山信君(梅雪)が城代となり、大規模な改修を加えたと伝わる(改修時期を天正6年頃とする説もある)。信君は天正9年(1581)末頃から織田信長・徳川家康と通じ始め、天正10年(1582)の甲斐侵攻に際していち早く武田氏から離反した。この離反は武田方の士気を大きく損なわせたが、勝頼が新府城放棄後に自害へ追い込まれた直接の契機は、頼ろうとした小山田信茂にも岩殿城で拒まれたことによる。



