二条御所(武衛陣の御構)

築城 1559年(永禄2年)

城名二条御所(武衛陣の御構)
所在地京都府京都市上京区武衛陣町(山城国)
築城1559年(永禄2年)
主な城主足利義輝
現状永禄の変で焼失し遺構はほとんど残らないが、地下鉄建設時に石垣・堀跡が確認され、跡地に石碑が残る

二条御所(武衛陣の御構)とは

二条御所は、室町幕府13代将軍・足利義輝が1559年(永禄2年)、斯波氏の屋敷跡「武衛陣」に築いた御所である。当初は一町四方であったが後に二町四方へと拡張され、石垣と大堀を備えた本格的な城郭として整備された「武衛陣の御構」とも呼ばれる建物であった。

1565年(永禄8年)5月19日、三好義継・三好三人衆・松永久通らの軍勢がこの御所を襲撃(永禄の変)。「剣豪将軍」として知られた義輝は自ら太刀を振るって奮戦したが討死し、御所も炎に包まれて焼失した。なお、この跡地には後に織田信長が足利義昭のために新たな御所(後の二条城)をわずか70日で築いており、両者は別の建物である点に注意が必要である。

1559年 足利義輝が斯波氏の屋敷跡「武衛陣」に新たな御所の造営を開始
1560年 義輝がこの御所に移り住む
1564年 石垣・堀の増築が進められ、防御機能が強化される
1565年 永禄の変により三好三人衆・松永久通らの軍勢に襲撃され、足利義輝は討死、御所は焼失
1569年 跡地に織田信長が足利義昭のための新たな御所(後の二条城)をわずか70日で築く
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永禄の変で最期を迎えた第13代将軍

よくある質問

Q. 二条御所と、のちの二条城は同じ建物ですか?

別の建物です。義輝の二条御所(武衛陣の御構)は1565年の永禄の変で焼失し、その跡地に織田信長が足利義昭のためにあらためて築いたのが後の二条城で、さらに時代が下った徳川家康による現在の二条城ともまた異なります。

Q. 足利義輝はこの御所で何をしていたのですか?

将軍としての政務を執る御所・居城として使用していました。剣豪将軍としても知られましたが、1565年に三好三人衆らの襲撃を受け、この地で最期を迎えました。

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