甘利氏館

戦国時代

城名甘利氏館
所在地山梨県韮崎市旭町上条北割
築城鎌倉時代、甘利行忠が築いたと伝わる
主な城主甘利虎泰
現状大輪寺境内。発掘調査で16世紀中頃の武家居館跡が確認されている

甘利氏館とは

甘利氏館は山梨県韮崎市旭町上条北割にあった武家居館で、甲斐源氏・一条忠頼の子である甘利行忠が甘利荘に配されたことに始まる甘利氏発祥の地とされる。現在は甘利氏の菩提寺である大輪寺の境内となっている。

武田家譜代の重臣で信虎時代の武田四天王の一人に数えられる(山県昌景・馬場信春らの後代の四天王とは別の、より早い時代の呼称)甘利虎泰は、子の甘利昌忠とともにこの居館を拠点としたとされる。平成2年(1990年)の山梨県埋蔵文化財センターによる発掘調査では、16世紀中頃の建物跡や天目茶碗などが出土し、武士階層の居館であったことが確認された。

虎泰は天文17年(1548年)の上田原の戦いで討死しており、甘利氏館は武田信虎・信玄の二代に仕えた甘利一族の本拠として歴史を刻んだ。

鎌倉時代 甲斐源氏の一族・甘利行忠が甘利荘に館を築き甘利氏を称したと伝わる
戦国時代 甘利虎泰・甘利昌忠父子の居館として使用されたとされる
1548年 甘利虎泰が上田原の戦いで討死
1990年 発掘調査により16世紀中頃の建物跡や天目茶碗などが出土
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甘利虎泰と甘利氏館

よくある質問

Q. 甘利氏館は現在どうなっていますか?

現在は甘利氏の菩提寺である大輪寺の境内となっており、発掘調査で16世紀中頃の武家居館跡が確認されています。

Q. 甘利虎泰とはどのような人物ですか?

武田信虎・信玄の二代に仕えた譜代の重臣で、武田四天王・武田二十四将の一人に数えられ、天文17年(1548年)の上田原の戦いで討死しました。

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