周瑜とは
呉の大都督にして赤壁の戦いの立役者。孫策とは義兄弟の契りを結び、共に江東を平定。赤壁では火計を用いて曹操の大軍を大破した。文武両道の美丈夫として名高く、才気に満ちた名将。演義では諸葛亮との知略合戦が描かれる。36歳の若さで病没。
- 公瑾 -

| 名前 | 周瑜 |
|---|---|
| 字 | 公瑾 |
| 生年 | 175年 |
| 没年 | 210年 |
| 勢力 | 呉 |
| 立場 | 軍師 |
呉の大都督にして赤壁の戦いの立役者。孫策とは義兄弟の契りを結び、共に江東を平定。赤壁では火計を用いて曹操の大軍を大破した。文武両道の美丈夫として名高く、才気に満ちた名将。演義では諸葛亮との知略合戦が描かれる。36歳の若さで病没。
廬江郡舒県の名門に生まれる。幼少期に孫策と出会い、義兄弟の契りを結んだ。音楽に造詣が深く、演奏に誤りがあれば必ず振り返ったことから「曲に誤りあらば、周郎顧みる」と言われた。
194年から孫策の江東平定に参画し、呉の建国に多大な貢献を果たした。孫策の死後は孫権を補佐し、大都督に就任。208年、赤壁の戦いでは火計を用いて曹操の大軍を大破し、三国時代の幕を開けた。
赤壁後、南郡攻略で負傷しながらも江陵を陥落させた。天下二分の計を構想し、益州攻略を企図していたが、210年に巴丘で急死。36歳の若さであった。
文武両道の美丈夫で、人望厚く度量の大きい武将。演義では諸葛亮への嫉妬から狭量に描かれるが、正史では「性度恢廓」(度量が広い)と記されている。孫策との友情は生涯変わらず、二人は「総角の好」(幼なじみの親友)と呼ばれた。
演義での周瑜は諸葛亮への嫉妬で描かれるが、正史では堅実で度量の大きい名将として記録されている。赤壁の戦いでの主役は周瑜であり、諸葛亮の役割は演義で大幅に脚色されている。死因も「既に周瑜を生みながら…」の台詞は演義の創作。
210年、益州攻略の計画を進める途上、巴丘にて急死。享年36。死因は過労や赤壁時の矢傷の後遺症とも推測されるが、正確には不明。孫権は「公瑾なくして、孤は帝を称するに至らず」とその死を深く悼んだ。
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