北条早雲の生涯
戦国時代の幕開けを告げた人物。一介の素浪人(諸説あり)から伊豆・相模の二国を切り取り、後北条氏五代の基礎を築いた。
— 戦国大名の先駆け —
| 名前 | 北条早雲 |
|---|---|
| 本名・幼名 | 伊勢宗瑞 |
| 異名 | 戦国大名の先駆け |
| 生年 | 1432?年 |
| 没年 | 1519年 |
| 出身 | 備中(岡山県) |
| 勢力 | 北条 |
| 役職 | 大名 |
戦国時代の幕開けを告げた人物。一介の素浪人(諸説あり)から伊豆・相模の二国を切り取り、後北条氏五代の基礎を築いた。
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戦国図鑑アプリを見る「戦国時代の幕を開けた男」とも称される。本名は伊勢宗瑞(盛時)。「北条」の姓は息子の氏綱の代から使用されたもので、早雲本人は伊勢姓であった。
従来は素浪人から身を起こしたとされていたが、近年の研究で室町幕府の政所執事・伊勢氏の一族であることが判明。姉(または妹)が駿河の今川義忠の正室だった縁で東国に下向した。
今川家の家督争いを調停して駿河で勢力を築き、1493年に伊豆を奪取、1495年(諸説あり)に小田原城を攻略。相模に進出して後北条氏5代100年の基盤を築いた。1519年に韮山城で死去。享年は64歳説と88歳説がある。
下克上の代名詞的存在だが、実際は名門出身の知識人であった。「早雲寺殿廿一箇条」という家訓を残しており、質素倹約・礼儀・学問を重視する規律正しい人物像が浮かび上がる。革新的な税制(四公六民)を導入し、領民の生活を安定させた。
生年は1432年説と1456年説があり、享年が64歳か88歳かで大きく人物像が変わる。近年は1456年説(享年64)が有力。小田原城攻略の「火牛の計」は後世の創作とされる。素浪人出身説は完全に否定されている。
韮山城、小田原城、興国寺城
1519年8月15日、伊豆韮山城にて病没。享年64(88歳説もあり)。死後、息子の氏綱が「北条」姓に改め、関東の覇者への道を歩むことになる。
北条早雲は備中(現在の岡山県)の出身です。
北条早雲は「戦国大名の先駆け」と呼ばれています。
1519年8月15日、伊豆韮山城にて病没。享年64(88歳説もあり)。死後、息子の氏綱が「北条」姓に改め、関東の覇者への道を歩むことになる。
「早雲寺殿廿一箇条」(家臣への訓戒。朝は早く起きよ、文武を怠るな等の実践的教え)