戦の詳細
武田信玄が上洛を目指して西進する途上、遠江の三方ヶ原台地で徳川家康と激突。家康は野戦を挑むも武田の「魚鱗の陣」に完敗し、命からがら浜松城へ逃げ帰った。家康生涯最大の敗北として知られ、敗北直後の自身の姿を描かせた「しかみ像」の逸話が有名。
元亀3年12月(1573年1月)
| 戦名 | 三方ヶ原の戦い |
|---|---|
| 時期 | 元亀3年12月(1573年1月) |
| 場所 | 遠江国・三方ヶ原 |
| 結果 | 武田軍の圧勝 |
武田信玄が上洛を目指して西進する途上、遠江の三方ヶ原台地で徳川家康と激突。家康は野戦を挑むも武田の「魚鱗の陣」に完敗し、命からがら浜松城へ逃げ帰った。家康生涯最大の敗北として知られ、敗北直後の自身の姿を描かせた「しかみ像」の逸話が有名。
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戦国図鑑アプリを見る魚鱗の陣で徳川軍を正面から粉砕。信玄の用兵の妙が光る。
籠城策を退け野戦を挑むも惨敗。浜松城への撤退時に空城の計を用いたとも。
殿軍を務めて主君の撤退を支える。
太鼓を打ち鳴らして武田軍を警戒させ、追撃を躊躇させた(浜松城の太鼓)。
家康の撤退を支える忍び衆を率いて殿軍に加わる。
赤備えの先鋒として徳川軍に突撃し、壊滅的な打撃を与える。
武田軍の右翼を率いて徳川軍を圧倒。
徳川軍の一翼として奮戦するも武田の猛攻に敗走。